我の菜食
date=2025-12-26T00:00:00.000Z,思考我は倫理的觀點から菜食主義を採用するが, この主義は個個人の環境や倫理觀に依存して變種が多く, 説明が煩瑣な時が有る. 自分に對する整理, 他者に對する説明の爲の文を短く書いておく.
根據
そもそも説明義務を負ふのは菜食主義でなく, 特定の動物を愛玩しながら別の動物を虐待, 殺戮する肉食主義である. しかし不條理な世界で條理を求めるのは無益であるから説明する.
我が立脚する小さな事實群だけを列擧する. 嚴密性を求めるなら新・動物の解放 (著: peter singer, 譯: 井上太一) を讀むのが良い.
- 苦痛を感ずる存在に苦痛を與へるのは惡である
- そもそも動物虐待が惡だと言ふ點に我と汝は同意する筈である (同意しないなら これを讀む意味は無い). 牛, 豚, 羊, 鶏などのみが その例外だと考ふ理由が無い.
- 人間は日常的な肉食を必要としない.
肉食者は肉を單に贅澤の爲に消費する.
- 菜食は健康を必ずしも損ねない. 過度な肉食は健康を損ねる.
- 不必要性が重要であり, 真に必要なら例外である. 家畜を樞要な榮養源とする遊牧民族, 離島民など.
- 家畜, 特に牛は温室効果氣體, 土壤汚染を齎す.
- 飼育の爲の森林破壞, 流通の爲の温室効果氣體 (再び) が伴ふ.
- 肉食は榮養効率が惡い. それで飢餓を解決せられた筈の大量の農地と農産物が, 牛一頭に投ぜられる (富裕者が食ふための牛に).
菜食は, 倫理的, 環境的, 經濟的な正當化を持つ. それらは動物に微塵の興味をも持たない (殺しても何をも思はない) 人間に對しても成立する.
實踐
我は大きく言ふと乳卵菜食者 (lacto-ovo-vegetarian) に屬する. 意味は字から想像される通りである. これは西洋で最も多い, 標準的な變種である (と Wikipedia には書いてあるが出典を確認せられなかった).
乳, 卵は平飼ひのみを許容する. 將來的には乳, 卵をも拒否したい.
痛覺を持つ動物の定義は高度の生物學に屬するので, 日常的には少なくとも脊椎動物を拒否すると定める. 曖昧な事例も有り, 例へば しらす などは許容可能と考ふ (積極的には食はないが).
良く有る誤認を解消する.
- 肉の味を嫌ふのではない. 寧ろ好む (肉食者が多數派を占める環境で生育されたので當然である). 個人の嗜好で倫理を枉げてはならないだけである.
- 肉を食ふのが惡いのではない. 肉の流通, 消費に荷擔するのが惡い.
- 例へば, 食事會に參加する. 幹事は菜食者の存在を想像せず, 肉を含む料理を提供する. それを拒否することに意味は無い. それを捨てたり, 他の人が食っても動物の受けた苦痛は輕減されない (何せ死んでゐるのだから). 重要なのは未然の防止である.
- 肉を食ふのが惡いのではない. 動物を苦しめるのが惡い.
- 食用でない, 革製品や化粧品も同じい.
- 動物園や水族館も同じい.
- 娯樂としての狩りや釣りは榮養にすらしない點で なほ劣る.
- この點で, ‹菜食› は誤解を招く.
- 動物を殺すのが惡いのではない. 動物を苦しめるのが惡い.
- 例へば, 食ふ爲の動物を, 本人 (人ではないが) が苦しみ惱む間も無く殺し, かつ周圍の同種 (特に血族) も その影響を受けないならその肉を食ふ事を許容する.
- しかし そんな配慮を拂ふ畜産農家は存在しないので無意味の想定である.
- 例へば, 食ふ爲の動物を, 本人 (人ではないが) が苦しみ惱む間も無く殺し, かつ周圍の同種 (特に血族) も その影響を受けないならその肉を食ふ事を許容する.